アジアのお箸

中国語・韓国語・ベトナム語・広東語が似ているので同時学習してみるブログ(東アジア漢字文化圏の言語の比較・対照)

AIと言語

これまた大層なタイトルをつけてしまった。AIが庶民の手に触れられるようになってひさしい。こういったものをどこまで使用するのか、どこで使用を控えるのかは、各人の好みや判断によるところが大きいだろう。

自分自身を振り返ってみると、意外と部分的にAIのお世話になっていることがある。

まず外国語のwebsiteや外国語で書かれたGoogleマップの口コミの翻訳。もちろん翻訳が間違っていることもあるが、だいたいはあっているので、短時間で要旨をつかみたいときに、パパっと翻訳ボタンを押してしまう。

それからYoutubeで英語の勉強にとアメリカのニュースを見るときには、AIでの字幕自動生成を活用している。これはかなり役に立つ。

そして、実は仕事でもちょこっと使っている。英語でメールを書くときに文法に間違いがあったら教えてくれるフリーソフトを入れている。Grammarlyという。英文を書くと即座に単語の下に赤線が引かれて、ここは文法的に間違っているからこういう風に書き直すといいよ、と教えてくれる(たまにGrammarlyの方が間違っているのでは?と思うこともあるが)。これはなかなかありがたい。外国人相手にこっそりと流暢な英文を書いているフリをすることができる。

ところがアメリカ人からきたメールに返信しようとすると、もとのアメリカ人の英文が引用されるときに、そこにも結構な頻度で赤線がはいる。おい、アメリカ人も結構文法適当にしてメールを書いているんだな。それともGrammarlyが過剰すぎるのか? こうなると何が正しいのかよくわからなくなってくる。

少なくとも、AIが正しいといったからこのことばは正しい、AIが間違っているといったからこのことばは間違っている、とはしなくない。言語がどうあるべきかの判断基準をAIに置きたくない。本来言語とは時代や場所や社会によって自由自在に変化しているものである。言語において「規範的に正しいとされるもの」は存在しても「絶対的に正しいもの」は存在しないというのが私の高校生の頃からの持論だ。AIがこの言葉遣いはおかしいと言ったから使わないでおこう、となると、本来のびのびと進展していく言語の変化が抑圧されてしまう気がしてならない。

↓ところでこの投稿内容のタイトルをはてなブログのAI機能で考えさせた。うーんどれもしっくりこない?