アジアのお箸

中国語・韓国語・ベトナム語・広東語が似ているので同時学習してみるブログ(東アジア漢字文化圏の言語の比較・対照)

オーストラリアからの訪問その7

私の好きな言語の話題で、私のつたない英語で私なりに氏に意見を伝えていく。


氏にはお子さんがおり、日本で育てられた。お子さんは、家庭では英語を使い、家の外では日本語を聞いて育ったという。それで英語も日本語もできるようになったと。外国語を学ぶには8歳までにはじめないといけないという。日本の英語教育のスタートは遅すぎるんだと氏は痛烈に批判した。


これには私はすぐさまかみついた。私の意見としては、まずは母語ないし母国語(母語と母国語の違いはこの際おいておく)を最優先で身に着けていくべきだ。母語で多くの語彙を用いて文章を作り、論理を組み立てる方法を身に着けるのが先だ。それから外国語を学んだ方がよい。幼いころから複数の言語を使っていると、「バイリンガル」ではなく「セミリンガル」になってしまうことがある。つまり日本語だけを使っていて到達する標準レベルがあるとすると、日本語と英語の両方で育てられた子供は、日本語も英語もその標準レベルには到達せずにどちらも中途半端になってしまうことがある。それに今やAIの発達は著しく、外国語の機械翻訳も日々進歩しつづけている。そんな中で日本の子供たち全員が幼いうちから英語の習得に多くの時間を費やすべきではない。英語は学びたい人が学べばいいが、日本人全員にとって必要というわけではない。


するとここでずっと黙っておられた氏の奥さんが声をあげられた。知り合いの子にセミリンガルがいると。私たちの子がバイリンガルになり、一方で知り合いの子はセミリンガルになったのには、どういった差があるのだろうか、と。氏はそれに対して「埋め合わせ(compensate)をすればよい」と答えたが、具体的にどのように埋め合わせをすればよいのかは、明確には語っておられなかった(私の英語のリスニング力が低く、聞き取れなかっただけかもしれないが)。


いずれにせよ、オックスフォードで博士を取得された超インテリの先生に、つたないながらもこのように自分自身の意見をぶつけて議論をすることはできたのは、ひとつのよい機会であった。また自分の意見をしっかり持ってそれを適切に伝えることが、コミュニケーションのひとつの醍醐味でもあるのかな、などと思ったりもした。


明日に続く。明日で最後です。