アジアのお箸

中国語・韓国語・ベトナム語・広東語が似ているので同時学習してみるブログ(東アジア漢字文化圏の言語の比較・対照)

Better an oops than a what if. / 日本語に訳されていないことわざ

Better an oops than a what if.

昨年のアメリカ出張で買ってきたお菓子の袋に書かれていたメッセージだ。パッと見では意味が分からない。

oopsは「あちゃ〜」、what ifは「もしも〜」。「もしも〜」よりも「あちゃ〜」の方が良いよ。つまり、悩んでいるよりもやってみてあちゃ〜ってなる方が良いよ、ということらしい。

この英語のことわざっておそらく日本語に訳されていないですよね?似たものを挙げるなら「やらぬ後悔よりやる後悔」ですかね。

こういうこなれた英語のフレーズを目の当たりにすると、学校で学ぶ英語と、アメリカで現実に行われている英語は、実は別物ではないかというような気がしてくる。

今やっている新しい仕事が難しくて、忙しくて、なかなかやばい。Better an oops than a what if.の気持ちで進めていくしかない。

タマリンドの秘密?

ベトナム料理店に行った。日本人がやっているなんちゃってエスニック料理店ではなく、店員もお客もベトナム人ばかりのガチ目の店に飛び込んでみた。



注文は珍しく食券制だから言葉が通じなくても簡単。とりあえずフォー(phở)を。



食券機をみると、タマリンド(me)があった。これ見たことがある!Duolingoでベトナム語をポチポチやっていて出てきたんだった。どんな味か想像もつかず密かに気になっていた。これは試してみるしかない。



まずはフォー(phở)。かなりボリュームがありお腹が苦しくなってしまった。物価高の世の中にこれはうれしい誤算。



そしてタマリンド(me)のジュースを───。ふむふむ。酸味が聞いた果物という感じ。
正直、めちゃくちゃおいしくもないし、めちゃくちゃまずくもない。
自分が飲みなれていないからこういう感想しか出てこなかったが、ベトナムの現地の雰囲気と気候の中で飲んだらきっとさわやかでおいしいんだろうなあ。
タマリンドジュース少しずつ飲みながら、ベトナムに思いをはせる。贅沢な時間。


ところでこのタマリンドジュースの缶をなにげなく眺めていると、、、


原産国名:タイ
なんでやねーん。

おわり

働きざかりの語学離れ

働きざかりという感じがする。仕事がなかなか忙しい。

 

以前は「やらされ仕事」が多く、本当にうんざりしていた。決められた型枠の中で、少しでも穴があると、鬼の首を取ったかのようによってたかって叩かれる。しかし叩く側がミスしてもそれは軽く流されるときたもんだ。日本社会のだめなところを凝縮したようなポジションだった。これではまったく面白くない。

 

今の仕事ももちろんミスはできないのだが、なんというか「自分で動かしていける感」がある。業務内容は正直わけがわからずなんども嫌になっているのだが、頭を抱えながらもしばらくやってみると、ひょっとするとこれを回せるようになったら楽しいのでは?という気がしてきた。それなりに属人性の高い仕事であり、知識と経験が重要になってくる。ある意味職人的な仕事なのかな。

 

仕事で少しだけ手応えの欠片がつかめそうになってくるにつれ、言語・語学の趣味から遠ざかっていった。毎日のDuolingoだけは続けてお茶を濁している。所詮はなんの役にも立たない趣味なのだから、このように緩急をつけるのも悪くないと思いたい。

音声学の母音の表を、ようやく理解することができた

言語好きなら、下の表は一度はみたことがあるのではなかろうか。

(画像はWikipediaから拝借)

こちらは国際音声記号(IPA)での母音の表記を、口の動きに合わせて並べたものだ。───といってもあまりピンとこないかもしれない。

私も学生時代に音声学の授業を受けてこの表を習ったのだが、まったく腑に落ちなかった。「本当に母音ってこういう仕組みで発音されているの?」というのがまず直観的に感じたことだった。

ずっとモヤモヤしたままだったが、先日たまたまYoutubeでこの表を解説しているにいちゃんをみかけた。

www.youtube.com

このにいちゃんの説明、今まで聞いたもの中で一番分かりやすいのじゃないかな。

例の表の上と下の違いは、今までは「口の開き具合」と習ったがいまいちピンとこなかった。
しかしこのにいちゃんは「口蓋(口の中の上の天井)と舌の隙間の開き具合」と説明してくれて、ストンと理解することができた。

新しい言語を学ぶ上では音声学の知識も役に立つ。これを利用しない手はない。

広東語の勉強をはじめました。漢字文化圏の理解を深めるのに役立つ。

広東語(広東話)の勉強をはじめてしまった。以前から中国南方の言語もやってみたいとは思っていた。Duolingoで細々とはやっていたが、それっぽく本格的に辞書とテキストをそろえてみた。

最初はとっつきにくいが、やりはじめてみると、かなりおもしろい。文法は普通話とだいたい同じ。語彙は普通話と共通するものが多い。声調は6つで難しいが、ベトナム語の声調とくらべると、広東語の方がのっぺりしていてまだ少しやさしそう。母音や子音の発音も、ベトナム語のような日本語離れしたトリッキーな感じは少ない。普通話を学んだことがある身からすると、ベトナム語より広東語の方が自分にとって近い言語のように感じる。まあ当たり前か。どことなく普通話と似たような、でも絶妙に違うような、パラレルワールドに迷い込んだような感じがして非常におもしろい。


広東語(広東話)を、中国語の方言とみるか、中国語とは別の言語とみるかは人によって異なる。そもそも「言語」と「方言」は人為的に決められるものなので・・・。
世の中には割と似たことばだが別々の「言語」とされるものもある。例えばドイツ語とオランダ語ヒンディー語ウルドゥー語タイ語ラオス語、マレーシア語とインドネシア語
一方で、相互理解不能なのに「方言」とされるものもある。標準日本語と津軽弁や沖縄弁はお互いに通じないのに別言語ではなく「方言」となっている。中国大陸の人からすると、広東語はあくまで中国語の方言であり、"広東「語」"ではなく"広東「話」"とされている。


広東語のような中国南部の言語に触れるのは、漢字文化圏についての理解を深めるのにいいのでは? と思っている。例えば「入声(にっしょう)」について。これは-p,-t,-kで終わる音のことをいう。例として【麦(麥)】という漢字の音について調べてみよう。

【麦(麥)】
中国語(普通話) mài
広東語(広東話) mak6
日本語 バク (baku)
韓国語 맥 (mek)
ベトナム語 mạch (mak)

中国語(普通話)以外ではお尻に-kの音がついている(日本語では-kuに変化しているが)。これは昔の中国での発音(中古音)のなごりである。

中国語(普通話)でマクドナルドのことを【麦当劳】(mài dāng láo / マイタンラオ)というが、なぜこれがマクドナルドなのか分かりにくい。しかし広東語(広東話)では【麥當勞】(mak6 dong1 lou4 / マクトンロウ)となり、【麦(麥)】(mak / マク)の音でMcdonaldの"Mc"を表していることがわかる。
そしてこの-kの音は日本語・韓国語・ベトナム語の音にも存在している。中国語(普通話)では消滅した-kの音が、周辺地域には残っているのだ。
このように漢字文化圏のつながりを発見していくのがおもしろい。今までは日中韓越の4言語のつながりをみていたが、その中に広東語も加えるとさらにおもしろいことになりそうだ。

"多言語の習得は「音」から" 東京大などが発表

共同通信の記事で興味深いものがあった。
news.yahoo.co.jp
この記事、短い文章に内容を詰め込みすぎていて、読みにくいなあと感じた。みなさまどうでしょうか。
自分自身の整理のために、箇条書きにまとめなおしてみる。

・東京大などが、複数の言語を習得する際に共通して活発に働く脳の領域を特定した。
・これまで学んできた言語のリスニング能力が高い人ほど、新しい言語の音声を聞いている際にこの領域が活発化し、文法の理解が早かった。
・言語を学ぶ上では、まず音から入るのが基本だと裏付けられた。
・(第3言語以降の)新たな言語を習得する時も、同じ領域が使われていた。複数の言語を習得すると効果が蓄積し、次の言語の習得も、より容易になる。

私自身、中学生のときに英語のラジオ講座「基礎英語」の内容を暗唱するのが好きで、ひたすらそらんじ続けてているという変な子供だった。それが高じて英語暗唱大会にも出場し、運よく入賞したこともあった。結果的に「音」から英語を学ぶことができていたのかもしれない。
今でも英語以外のアジアの言語を学ぶときにも、一番やっていて楽しいのは例文のシャドーイングや暗唱だなあ。この方法が一番自分に合っている気がする。
もちろんコミュニケーション能力の高い方なら、外国人と会話をしまくって鍛えるのだろう。私は根暗なのでそういうのはあまり得意ではなく・・・。

しかしこの東京大の発表で、「複数の言語を習得すると効果が蓄積し、次の言語の習得も、より容易になる。」という一文は、とても心強い。私のようにいくつかの言語をかじっていると、どれも中途半端になるのじゃないか、と言われる。ところがこの発表によるとうまくいけば次の言語が学びやすくなるというのだ。時代は多言語学習だぜ(違う)。

みなさまにおかれましても、「音」を意識して、語学にチャレンジされてみるのもよいかもしれません。
(もっともこの発表の原文を読んでいないし、この内容に対する別の学者からの批判もあるかもしれない。何事も鵜呑みにするのはよくない。あくまでご参考まで・・・)

AIと言語

これまた大層なタイトルをつけてしまった。AIが庶民の手に触れられるようになってひさしい。こういったものをどこまで使用するのか、どこで使用を控えるのかは、各人の好みや判断によるところが大きいだろう。

自分自身を振り返ってみると、意外と部分的にAIのお世話になっていることがある。

まず外国語のwebsiteや外国語で書かれたGoogleマップの口コミの翻訳。もちろん翻訳が間違っていることもあるが、だいたいはあっているので、短時間で要旨をつかみたいときに、パパっと翻訳ボタンを押してしまう。

それからYoutubeで英語の勉強にとアメリカのニュースを見るときには、AIでの字幕自動生成を活用している。これはかなり役に立つ。

そして、実は仕事でもちょこっと使っている。英語でメールを書くときに文法に間違いがあったら教えてくれるフリーソフトを入れている。Grammarlyという。英文を書くと即座に単語の下に赤線が引かれて、ここは文法的に間違っているからこういう風に書き直すといいよ、と教えてくれる(たまにGrammarlyの方が間違っているのでは?と思うこともあるが)。これはなかなかありがたい。外国人相手にこっそりと流暢な英文を書いているフリをすることができる。

ところがアメリカ人からきたメールに返信しようとすると、もとのアメリカ人の英文が引用されるときに、そこにも結構な頻度で赤線がはいる。おい、アメリカ人も結構文法適当にしてメールを書いているんだな。それともGrammarlyが過剰すぎるのか? こうなると何が正しいのかよくわからなくなってくる。

少なくとも、AIが正しいといったからこのことばは正しい、AIが間違っているといったからこのことばは間違っている、とはしなくない。言語がどうあるべきかの判断基準をAIに置きたくない。本来言語とは時代や場所や社会によって自由自在に変化しているものである。言語において「規範的に正しいとされるもの」は存在しても「絶対的に正しいもの」は存在しないというのが私の高校生の頃からの持論だ。AIがこの言葉遣いはおかしいと言ったから使わないでおこう、となると、本来のびのびと進展していく言語の変化が抑圧されてしまう気がしてならない。

↓ところでこの投稿内容のタイトルをはてなブログのAI機能で考えさせた。うーんどれもしっくりこない?