
いやー、これはかなり手厳しい本です。端的に言うと「日本語の起源については分からないとしか言いようがない、それ以外の説はすべてトンデモ学説(インチキ)だ」という本です。著者は「音法則に例外なし」のルールを守れない限り、比較言語学としてまっとうではないとしています。
私自身も昔に大野晋の「日本語はタミル語起源だ」というような本を読んで非常におもしろいと感動し、後日それがトンデモ学説(インチキ)だと知ってとても恥ずかしい思いをしたことがあります。「タミル語起源」は論外ということにするとしても、これをきっかけに日本語の起源についていろいろな説があるということを調べていましたが、そのどれもがこの著者によると「トンデモ学説」の域を出ないということだそうです。
日本語・韓国朝鮮語・満州語・モンゴル語などは文法などが似ているので何らかの関係性があるのではないかと大昔から言われていますが、今日では否定的にみられています。それは分かるのですが、日本人の私が韓国語を学んでいて、ここまで文法が似ているのは単なる偶然の域を超えているのではないか、ということはなんとなく感じます。しかし本書によるとそれは言語類型論の話であって、比較言語学としては成り立っていないそうです。
私がかつて読んだ比較言語学の超入門書「ことばは変わる はじめての比較言語学」で、その著者は次のようなことを書いていたように記憶しています。「日本語の起源についてはっきりとはわからないが、最もしっくりくると思われる説としては、北方系の言語と南方系の言語が混ざったものだという説」と書かれていました。しかし本書によると、複数の言語に起源を求めるのは、都合よくいいとこどりをしているだけで、比較言語学としては成り立っていないとしています。
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また数年前に、日本語の起源は中国東北部ではないかという研究が発表されたとありました。しかし本書によると、その研究が参照している先行研究の妥当性が検証されておらず、そもそもトンデモ学説であるので、それをもとにしたこの研究もトンデモ学説になっているとしています。
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本書は、厳密な意味で比較言語学を適用するために、「音変化に例外なし」のルールを守れない限り、比較言語学として成立しないとしています。それはたしかに非常にまじめで誠実な態度だと思います。一方で、そういった厳密な比較言語学の検証のみが、日本語の起源を探るために有効なのか?という疑問は個人的にはあります。(先にあげましたが、日本語と韓国語の文法がそっくりなのは、偶然の域を超えています。単にSOV型というだけでなく、助詞の使い方なども含めて。これはどう説明できるのでしょうか?言語類型論ということだけで片付けられる?)・・・といってもそういう甘さから、トンデモ学説が生まれるのでしょうけれどもね。
ところで本書を読んで気づいたのですが、私はもともと日本語の起源のようなことを調べたいと考えていましたが、どうもウサンクサイ説がはびこっているし、そもそも古代の資料が少なすぎるので検証が難しいと思っていました。今、中国語・日本語・韓国語・ベトナム語の漢字音の対応を、中古音(昔の中国の漢字音)をもとにまとめていますが、トンデモ学説がはびこる「日本語の起源探し」から無意識のうちに逃げて、古い資料が多く残っており妥当な調査がされている(と思われる)アジア各地の漢字音に鞍替えをしたということを思い出しました。そういう意味では本書を通じて、今わたしがやっている漢字音を調べることについて見つめなおすことができたのはよかったです。また、漢字音の対応や歴史的変遷を調べる際にも、トンデモが紛れ込まないか気をつけないといけないと思いました。いやーしかしそれにしても、非常に手厳しい本でした。





