アジアのお箸

中国語・韓国語・ベトナム語・広東語が似ているので同時学習してみるブログ(東アジア漢字文化圏の言語の比較・対照)

オーストラリアからの訪問その6

さあいよいよ私の得意分野(?)の「言語」について、氏と語り合うときがきた。


まずは「英語」の必要性について。話の発端は、オランダでは高等教育の多くを「英語で」おこなうことになったということを、氏が語ったところから始まった。なぜならばオランダ人のほぼみんなは英語が話せるからだという。現地ではすごく不自然なので見直しもされはじめているそうだ。


それまで主に氏の講義(?)を聞くに徹していた私であったが、「言語」についてとなると私にもまがりなりにも一家言ある。黙ってはいられず、色々議論してみたくなってきた。


まず申したのは、多くの発展途上国では、高等教育は母国語では行われず、英語でおこなわれているということ。一方でわが日本では英語でなく日本語で高等教育を受けられる。それはなぜかというと、明治時代に西洋の新しい文化を取り入れた人々が、新しい単語をひとつひとつすべて日本語に翻訳していったからだ(和製漢語)。母国語で高等教育を受けられるというのは非常に恵まれたことであると。


すると氏はすかさず反論してこられた。母国語で高等教育を受けられても、世界の最新の研究を学ぶためには、結局は英語をできなければならない。なるほどたしかにそうかもしれない。これは自分の中になかった考えだ。


さらに氏は続けて、日本は英語教育が不十分なせいで、経済的に大きな損失をこうむっていると述べた。かつて日本では英語を第二公用語にしようという意見もあったが、自民党をはじめとする保守層によってつぶされたと。その結果、国際的な企業が、アジア支社を東京からシンガポールにどんどん移していった。これは日本にとって大きな損失だと。シンガポールは英語が公用語だからね。


これに対して残念ながら私は氏に面と向かって反論はできなかった。なぜか。それは氏がイギリスで生まれ、いまはオーストラリアに住んでいるからである。そもそもシンガポール公用語の1つが英語なのは、マレー半島がイギリスの植民地だったからでしょう? 日本は第二次世界大戦の敗戦で一時的に連合国軍の支配下にあったことはあるが、それ以外は西洋諸国の植民地になったことがなく、まがりなりにも独立を貫いてきたのだ(なにをもって独立とみなすかはこの際おいておく)。そんな日本国と、西欧列強が縦横無尽に支配しつくした旧植民地を比べて、旧植民地のほうが英語が通じるから有利だとし、日本を相対的におとしめる。そこには無意識の「強者の理論」がある。英語は強い、グレートブリテンは偉大だ、というような無意識の感覚───。それを善意をもって、日本はもっと英語教育に力をいれないといけないよと、強者側から言われると、私のようなアマノジャクな人間は反発してしまう。例えば逆の立場で考えてみよう。日本人が北海道のアイヌ民族に対して、日本語ができると生活していく上で有利だから日本語を勉強しましょうね、なんてことを令和の世に口走ってもみたら、それはもう大変なことになる。


もちろん氏は人格者なので、そんな悪意をもっているわけではないだろうし、そもそもかつてのイギリスの帝国主義は氏がおこなったことでは断じてない。このことをうまく氏に伝えるすべを私は持ち合わせていなかった。


言語に関することなので熱くなってきた。明日に続く。