アジアのお箸

中国語・韓国語・ベトナム語・広東語が似ているので同時学習してみるブログ(東アジア漢字文化圏の言語の比較・対照)

「翔んで埼玉」を見て思ったこと

2019年の映画だが、「翔んで埼玉」を今更ながら見た。東京から迫害されている埼玉が、東京に逆襲する話。ギャグ映画なのだが、正直、こういう笑いは少々危うさをはらんでいると思う。

私は関西人なので、関東圏の感覚が正直よくわからない。映画によると、東京や横浜といった「あかぬけた都会」と比べて、埼玉や千葉、茨木や群馬は少し田舎といわれる風潮があるのだろうか。関東の人々にとって、それは笑って済ませられる程度のことですんでいるから、こういうギャグ映画が成り立つのかもしれない。

これが、東京と埼玉の対立ではなく、例えば首都圏と東北地方の対立になると、そもそもギャグとして成り立つのだろうか・・・。あるいは本州と沖縄の対立を描くとなると、それは一気に歴史的・政治的な色を帯びた非常に難しい議論になってくる。また、私の住んでいる大阪でいうと、比較的世帯年収の高い地域と、そうではない地域の対比を笑って語れる大阪人はまずいない感覚がある。お笑いの中川家がうまく際どく攻めているくらいだろうか。さらに大阪の特定の地域を指すとなると・・・いややめておこう。

結局は東京からみた埼玉「下げ」の程度が軽いから、このように笑って済ませられるのかもしれない。本当に上下関係の程度がひどいと、こんな簡単には語れない。世界中で民族紛争や、国家間の戦争や、人種間での争いが続いている中、たとえギャグとはいえ、地域対立をあおるような映画の内容は、個人的にはあまりおもしろいと思わないような気がする(深く考えすぎ?)。

映画の最後もいまいち納得がいかないものだった。東京の悪政を暴いたのち、埼玉の優位性を日本中に密かに浸透させるという話でおしまいになった。かつて東京の権力に虐げれていたのが、今度は自分たちが団結して権力を行使する側に回るという姿は、(考えすぎなのかもしれないが)、世界史で繰り返されてきた、各地での権力闘争・ナショナリズムを彷彿とさせる。人間の歴史は繰り返すということを伝えたかったのかこの映画は。いやそこまで深くは考えていないと思うが。

ところでこの映画、続編が製作中だそうで、今度は舞台が関西になるそうだ。「下げ」られる側として滋賀と和歌山が取り上げられるらしい。なるほどこれなら関西人の私でも少しは感覚が分かる? 笑って済ませられる程度の地域対立であれば、ある意味とても平和でよいことなのかもしれない・・・。 でも滋賀や和歌山を田舎だとあざけ笑って一体なにが楽しいのかね。