アジアのお箸

中国語・韓国語・ベトナム語・広東語が似ているので同時学習してみるブログ(東アジア漢字文化圏の言語の比較・対照)

【書評】世界の言語入門(黒田龍之助)

黒田龍之助著の「世界の言語入門」という新書を読んだ。「言語入門書」ではなく、世界の色々な言語についてのエッセイだ。これは出版社の命名が悪い。

紹介されている言語はなんと90言語。あくまでもエッセイなので、1つ1つの内容はかなり少ないが、世の中にはこんなに自分の知らないことばがあるのだなと、興味をもって読めた。軽いエッセイなので気になったページを眺めるような読み方もできる。

ところで、あとがきに次のことが書かれていた。なかなか心に来る。


───引用ここから───
 繰り返しになるが、日本にはさまざまな言語の専門家がいて、綿密で正確な研究業績をつぎつぎと発表している。これが言語学の基盤となり、その発展に大きく貢献していることは、疑いの余地がない。
 しかし、それだけでいいのだろうか。わたしは最近、いままでの言語研究のあり方に、疑問を感じるようになってきた。
 個別言語の専門家が、自分の研究対象である言語のみに突進していく。知識と経験と愛情たっぷりに、言語が研究されている。それは別に構わない。だが、ともすれば他の言語を軽視したり、場合によっては攻撃したりすることに、繋がっていないだろうか。
 二十一世紀に入って数年が経過した現在、世界各地で民族主義愛国主義が蔓延している。本来、みんながそれぞれの国なり文化なりを大切にしていけば、すばらしい世界になるはずなのに、現実はそれと逆で、対立は深まるばかり。大きい国の民族主義が、小さい国の民族主義に圧力を加える。暴力的なことさえおこなわれる。
 言語にしても同様だ。大きい言語が小さい言語を攻撃する。話者人口の多い言語、文章語伝統の長い言語が、話し手の少ない言語、文字表記の歴史が浅い言語を軽蔑する。中規模の言語は自分を大きく見せたくて、虚勢を張り、他の言語を攻撃する。小さい言語は自分の殻に閉じこもる。それは決して幸せな状態ではない。
 それぞれの言語を研究することは欠かせない。でも、言語と言語をつなぐ役割だって、やっぱり必要なのではないか。
───引用ここまで───

これに少し似たことを、もっとつっこんで書かれたのは、田中克彦著の「ことばと国家」という書籍だ。そちらについてはまたご紹介したい。