関西弁の使われ方が地域によって違っていて困惑している。
私は大阪生まれなのだが、「行けへん」は、「行かない」の意味で使っていた。
高校生になり、京都に近い地域の人たちと多く接するようになった。そこで聞く「行けへん」にものすごく違和感を感じた。彼ら彼女らは、「行くことができない、行けない」という意味で「行けへん」と言っていた───。
言葉の意味が全く異なっていた。聞いていてムズムズしてくる。私の知っている言葉では「行けない」という意味をいいたいときは「行かれへん」という。これはかなりのカルチャーショックだった。あとで知ったが、大阪府内でも京都寄りの地域は、京都弁が入っているのである。
仕事で京都寄りのところで働いても、やっぱり「行けへん」=「行けない」をよく耳にした。
そして妻と結婚したら、妻も妻の家族も「行けへん」=「行けない」派閥だった。
これはもはや言語接触である。
言語接触というと、複数の異なる言語が触れ合って、混ざり合ったり、お互いに影響を与えたり、片方がもう片方を駆逐したりすることだ。
それが私の関西弁の中でも起きている。
周りが「行けない」という意味で「行けへん」を連呼するものだから、つい私も同じように使いそうになり、いやいや、それは違う、と反発して踏みとどまる。
色々な国で、外来語を排除して純粋な民族語に戻そうという運動が行われているが、それを個人レベルでやっているようなものだ。
整理すると下記のようになる。
【大阪】(※ただし私の母語感覚)
「行けへん」行かないの意味
「行かへん」行かないの意味
「行かれへん」行けないの意味
【京都】
「行けへん」行けないの意味
「行かへん」行かないの意味
「行けへん」だけではなく、他にも「書けへん」「読めへん」「貰えへん」「持てへん」「立てへん」「進めへん」などで、この違いが起きている。
いまだに京都式の「行けへん」を聞くとムズムズする。「行けへん」じゃなくて「行かれへん」やろ、と私の心の中の関西弁がゆらぐ・・・。